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    かけはし2021年3月1日号

便秘よもやま話


コラム 「架橋」

  「糞ったれ」という言葉がある。忌々しい出来事や人を罵倒する悪口として使用される。糞をたれる行為がなぜ人を罵倒する悪口になったのか、その経緯などについては私は知らない。大いに興味がある。
 糞(くそ)糞(ふん)便(べん)があり何がどう違うのか私にはわからない。教えてもらえるとありがたい。
 糞たれの反対は糞詰まりである。つまり便秘だ。先日かなり手強い便秘になった。それは突然やってきた。普通はそれなりの予感があるのだが。
 便意はあるのだがびくともしない。なった者にはよくわかると思うが、出そうで出ないという感覚は非常に気持ちが悪い。単に気持ちが悪いだけでなく世の中が違って見えるのだ。気に入っている食べ物も美味そうに思えない。酒を飲んでも不味い。コンピュータ相手に囲碁を打っても連戦連敗で勝てそうな気がしない。何かを聞かれても返事をする気も起こらない。顔つきまで変わり機嫌が悪くなる等さまざまな症状が現れる。
 良く知られている下剤で「酸化マグネシウム」がある。だが私はこれを飲むことが出来ない。何故か。私には「嚥下障害」が進行中だからだ。以前それを何度か飲んだがその度に薬の一部が気管に入り呼吸出来なくなるほどの苦しみを味わった。
 かかりつけの病院で医者に相談することにした。担当医はしばらくコンピュータ画面を睨んでいた。「2、3日我慢出来そうか」と聞いてきた。我慢するしかない。「大王甘草湯」という漢方の錠剤があり、腹が痛まずに出るのではないかと言う。
 処方された薬の説明には「便通をよくする」とある。漢方とは馴染みはなかったが結果は私とは相性の良い薬であった。
 私たちの思考回路もまた「便秘」になることがある。資料を整理しメモを作り直しても思考は遅々として進まない。結果現れる症状はおおむねボディの糞詰まりの時と似たようなものだ。違うのは下剤や便通を良くする等の「良薬」が無いことである。イライラがつのるばかりだ。
 脳科学者を自認する人たちは「気分転換」を提案する。ジョギングなどのスポーツやまったく違う「遊び」をすることだ。それもひとつの方法だが私の経験ではいずれも一過性だ。何度も同じことの繰り返しではマンネリになり上手くいかない。
 この思考回路の便秘を比較的軽いものにする以外に「良薬」は無いのかもしれない。テーマの違う思考回路を常時複数作っておく。ひとつの回路が行き詰まればいったん留保し、他の回路の思考を前進させ行き詰まり感を減少させる。そのことによって心理的なバランスを保持しようとすることが必要なのではないだろうか。
 いずれにしても重要なことは心身ともに便秘にならないように注意することだ。100人居れば100通りの便秘がある。それぞれ食べる物も考える事も考え方も違うからだ。とにかく便秘はつらい。ならないに越したことはない。   (灘)



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